鯨と羊とおおいなる猫

草を食むように、文字をならべます

”やさしさ”

やさしい人というものは、社会生活のうえでしか存在しない。

なぜなら、金がダイヤモンドに、現代がITに、利益が科学に価値をもたらすのと同じで、やさしさは社会が価値づけるものだ。

つまり、やさしい人というものは、社会生活のうえでしか存在しない。

ゆえに、社会が変わればやさしさも変わる。

ある島では、ひとを助けることがやさしさであり、ある森では、孤独を守ることがやさしさであり、ある大陸では、距離をおきつつも手を握ることがやさしさなのだ。

そして、やさしさの変化は社会のうえだけでなく、人、個人間でも大きな差が存在する。

ある人は話しかけてくる人がやさしい人であり、ある人は考える人がやさしい人であり、ある人はいたずらを仕掛けてくる人がやさしいの人なのだ。

ゆえに、やさしさとはとても不確定なものであり、とてもおおらかなものなのだ。

もちろん、私にとっては。

いぇーいブログのタイトルを変えてやった!!!

以上。

徒然なる多忙

私の行きたい国のひとつに、スイスがある。

山。

山。

山。

山のような山に、山のごとく猛々しい山が連なる土地と聞いている。

しかし、国民は富んでいる。

山のスイスでは、山の暮らしがあり、山の経済があるのだ。

そして、山の経済は現代で輝いている。

山で時計を作り、

山で薬を調合し、

山で国際機関を機能させる。

現代化し、過去をおいてきた私たちにとっての山民族、それは彼らスイス人ではなかろうか。

 

これを書いて、ひとつ心傷を負った。

この文章には私が尊敬し、それ以上の念を捧げている人の名前が何度も何度も繰り返されている。

ゆえに、それを考える。

そして、夜の冷たさがそうするままに、私は傷ついた。

赤い頬

私は恋をした。

空は高く叫び、木々は青く萌えた。

私はこれを人間としての証拠だと考えた。

彼女の挙措の一切は関係なく、

美しさ、艶めかしさに奪われたのだ。

それを思う私は、悲しく自嘲する。

「私の知、理、悟性はすべて人間という物の怪の前では無力なのだ。」

内に積み上げてきた知は雲散霧消し、底に一枚の「本能」を、私は見た。

 

いいや、

本能が私に”見させた”のだ。

月下美人

幕が閉じた。

軽いバイオリンと、おもむきが違ったピアノが織りなす、ひどい演奏会から逃げ出すように八月の太陽に身をさらす。だけど、外はもっともっとひどい。みんな僕をいじめている。まったく、ひどい話だ。

すべてから逃れるために愛車のスバルに乗り、クーラーのスイッチを入れる。スバルがあまりにも暑いので、一度外に出て八月と五分間だけ戦った。

スバルを出して数分たつと、助手席に座っていた天使が体を起こして、音楽を流した。オール・ザ・キャッツ・ジョイン・インに合わせて鼻を鳴らしながら足をばたつかせている。それも、とても満足げに。

「なぁ、やっと八月との不可侵条約を結んだんだし、すこしゆったりした曲にしないか。僕はネコでもないし、君も八月の太陽じゃないんだから。」と、車線を切り替えながら言った。天使は足をばたつかせるのをやめ、ストレイ・キャッツのディスクをいれた。やれやれ。天使じゃなくて猫なんじゃないだろうか。

幹線道路にさよならを告げてしばらくたって、ようやくアパートについた。スバルを駐車し、ストレイ・キャッツを静かにして車を降りた。

鍵を差し込み、ノブに手をかける。開こうとするが、違和感があった。

うらぶれたノブをひいたとき、違和感の正体がわかった、

「いいにおいがするね。」天使が僕の腰あたりでそうささやいた。僕の半分ぐらいの高さしかない天使がそうささやいた。

「そうだね。書庫を見に行ってみようか。」僕は天使に脱ぎ散らかされた靴を慰めながらそういった。

月下美人の天ぷら

おいしいよね。

 

 

 

むかし、某ドーンで読んだこれがイチバン面白かったです。

もう一度よみたいなぁ...

Heaven

新たな発見をしたとき。

難問をわがものとしたとき。

だれかと意見をかわすとき。

ひとを褒めるとき。

勝負に勝ったとき。

ものを書くとき。

本を微笑みながら読むとき。

猫を見たとき。

珈琲を飲んでいるとき。

音楽を楽しんでいるとき。

しじまの夜に沈むとき。

 

Heavenはなにも語らない。

ものを語るのはわれだけであり、

きみのわれだけである。