鯨と羊とおおいなる猫

草を食むように、文字をならべます

雨が降っている

雨が降っている。

雨ほど、静かなものはなかった。

太陽のロックを、夜のバラードを、人のソウルミュージックをつよいノイズでなかったことにした。

あつくなった今日には、いちばんの鎮静剤だった。

 

彼は目が悪かった。

遠くのものは光になってしまう。近いものも輪郭がとけている。

けれど、彼は満足していた。

あまりにも眩く、綺麗で、暖かい世界を見るより、黒いカップに沈むことが好きだった。

 

彼は人と距離をおいた。

人も彼と距離をおいた。

どちらにも都合が良かった。

人は苦悩を、人生を、恋愛を胸を張って歌ったが、彼はジャズをつぶやくのが得意だった。

ボードレールよりヴェルレーヌを、ナイアガラよりミシガン湖を好む男だった。

 

ときに、彼に近づく人もいたが、彼は深い遠慮をもって退いた。

人は踏み込むことを躊躇した。

とらばさみの鋭い歯を恐れ、枯れた木に不吉をさとり、冬の寒さに身もだえた。

それほど人というものは、想像力が豊かだった。

 

だから彼は本を手に取った。

未来は眼鏡をかけても見えなかったからだ。

過去はおおきく開かれていたから、深く沈んでいった。

どこまでも、どこまでも。

”やさしさ”

やさしい人というものは、社会生活のうえでしか存在しない。

なぜなら、金がダイヤモンドに、現代がITに、利益が科学に価値をもたらすのと同じで、やさしさは社会が価値づけるものだ。

つまり、やさしい人というものは、社会生活のうえでしか存在しない。

ゆえに、社会が変わればやさしさも変わる。

ある島では、ひとを助けることがやさしさであり、ある森では、孤独を守ることがやさしさであり、ある大陸では、距離をおきつつも手を握ることがやさしさなのだ。

そして、やさしさの変化は社会のうえだけでなく、人、個人間でも大きな差が存在する。

ある人は話しかけてくる人がやさしい人であり、ある人は考える人がやさしい人であり、ある人はいたずらを仕掛けてくる人がやさしいの人なのだ。

ゆえに、やさしさとはとても不確定なものであり、とてもおおらかなものなのだ。

もちろん、私にとっては。

赤い頬

私は恋をした。

空は高く叫び、木々は青く萌えた。

私はこれを人間としての証拠だと考えた。

彼女の挙措の一切は関係なく、

美しさ、艶めかしさに奪われたのだ。

それを思う私は、悲しく自嘲する。

「私の知、理、悟性はすべて人間という物の怪の前では無力なのだ。」

内に積み上げてきた知は雲散霧消し、底に一枚の「本能」を、私は見た。

 

いいや、

本能が私に”見させた”のだ。

月下美人

幕が閉じた。

軽いバイオリンと、おもむきが違ったピアノが織りなす、ひどい演奏会から逃げ出すように八月の太陽に身をさらす。だけど、外はもっともっとひどい。みんな僕をいじめている。まったく、ひどい話だ。

すべてから逃れるために愛車のスバルに乗り、クーラーのスイッチを入れる。スバルがあまりにも暑いので、一度外に出て八月と五分間だけ戦った。

スバルを出して数分たつと、助手席に座っていた天使が体を起こして、音楽を流した。オール・ザ・キャッツ・ジョイン・インに合わせて鼻を鳴らしながら足をばたつかせている。それも、とても満足げに。

「なぁ、やっと八月との不可侵条約を結んだんだし、すこしゆったりした曲にしないか。僕はネコでもないし、君も八月の太陽じゃないんだから。」と、車線を切り替えながら言った。天使は足をばたつかせるのをやめ、ストレイ・キャッツのディスクをいれた。やれやれ。天使じゃなくて猫なんじゃないだろうか。

幹線道路にさよならを告げてしばらくたって、ようやくアパートについた。スバルを駐車し、ストレイ・キャッツを静かにして車を降りた。

鍵を差し込み、ノブに手をかける。開こうとするが、違和感があった。

うらぶれたノブをひいたとき、違和感の正体がわかった、

「いいにおいがするね。」天使が僕の腰あたりでそうささやいた。僕の半分ぐらいの高さしかない天使がそうささやいた。

「そうだね。書庫を見に行ってみようか。」僕は天使に脱ぎ散らかされた靴を慰めながらそういった。

Heaven

新たな発見をしたとき。

難問をわがものとしたとき。

だれかと意見をかわすとき。

ひとを褒めるとき。

勝負に勝ったとき。

ものを書くとき。

本を微笑みながら読むとき。

猫を見たとき。

珈琲を飲んでいるとき。

音楽を楽しんでいるとき。

しじまの夜に沈むとき。

 

Heavenはなにも語らない。

ものを語るのはわれだけであり、

きみのわれだけである。