鯨と羊とおおいなる猫

草を食むように、文字をならべます

男女の違いについて

私は男性である。いかにも。

そして女性ではない。じつに。

そして、それぞれの違いとはなんだろうか?

 

というものが世間一般で語られる男女というもののそれである。

だが、まずこの前提に対して、私は異を唱えたい。

その異とはとどのつまりあなたがどちらかである限り、もう一方ではない。だから違いを考えるということはできないのだ。

違いというものはそれぞれを公平な視点で考えるところから始まる。

しかし、あなたが人である限り、どちらかの圧倒的な経験と、どちらかの圧倒的な未知を有しているのだ。

それが公平であろうか?

また、例外として、ふたつの性を経験する人がいる。

彼らは公平な視点を持ち合わせているのではないか。との考えがあるだろうが、それは違う。彼らの経験はどちらかの経験と、どちらかを経験した経験なのだ。

 

だから、男女をくらべるということは、永遠に机上のものだ。

 

だから、どちらかの圧倒的な黄金体験を楽しむといい。隣の芝生は青く見えるものだが。

青磁の宝剣

今は昔、

都から遥か東、海に臨む江南の地にある市があった。

宋の国においても大きな港であったここには東西より数多の商人が遠来する。

そんな港市の一角に、ある鋳掛屋を営む男がいた。

名を張尚と言い、勤倹質素の生活をするしがない、いち職人であった。

だが彼にはあることについて無二の技を身につけていた。

それは青磁の加工である。

父母が戦火にのまれ亡くなった幼き折、ある青磁職人に拾われた。

張尚が十五の歳に達したころ、また職人も赤痢で死んでしまった。

しかし、幼子にして窯を任されていたことか、はたまた彼の秘めたる才か、

彼は忽ち絶技とも称された技を習得し、職人を手伝った。

もとより名が高いこともあって、青磁神童は大きな噂になり、店は繁盛した。

だが、張尚が十四の頃に国が大凶作に見舞われ、貿易は滞ってしまう。

職人、それにあわせ張尚は青磁の加工では有名であったが、職人は頑迷固陋。

どれだけ周囲の善人が鋳掛や研磨などを仕事にするよう勧めても職人は認めない。

そうして死んでしまった。闇市の犬肉が災いしたらしい。

この一件以来、張尚は鋳掛を始め、もとの青磁には全く手を出さなくなった。

そして明朗だった張尚も、人が変わり物言わずで頑固とし、仕事のほかは人と関わりを絶ってしまった。

 

つづくかもしれない

これはまったくのフィクションです。

ウラジオストック、サンクトペテルブルク

今は昔、ロシアについての本を読んだことがある。

けしてマイナーなものではない。

たしか、ロシアと日本の通訳者が著者だった。

彼女は亡くなってしまったが。

 

その本はとても愉快だ。

まず、タイトルに始まる。センスがある。手に取って眺めたくなるたぐいのセンスが。

つぎに、知識がある。ロシアについて、それもとても深くの。

さいごに、暖かさがある。筆者は隣にいる。

 

だから、オススメする。ぜひ読んでほしい。

 

私が一番好きなのは、ウイスキーがイチバン美味しい度数についての話だ。

そこにはなんとも純粋な人間がいる。雪のように真っ白な。