「文章を書く」について
初めました
どうも。始めました。ブログというものを、です。
これから毎日30分を期限として、「なにか」について書き物をしたいと思います。
ものを書くということを、これまでしてこなかった私ですので、いわゆる「薬にも毒にもならない」ものになってしまいそうですが、どうぞよしなに、よしなに。
「文章を書く」
さて、今回は「文章を書く」ということについて、ですね。
つまり、いま書いてあるこれについてです。
私は文章について、「思考の具現化」や、「歴史」、「芸術」うんぬんの考えがあります。なぜ、それらのように考えるのか、それを考えつつ書き起こしていきます。
ところで、私は勘が良い人です。(勘は良いものではなく、鋭いものかもしれません)
ですから薄々嫌な予感というもの、それを感じ始めています。
「つまり、何が言いたいんだ?」
惨憺なるものができあがりそう。ということを言いたいのです。
(書きたいのです。)
「思考の具現化」・「歴史」
リンゴがひとつあります。
とても赤く、おいしそうです。おいしそうですよね?
そして、私がそれを食べます。もしくは、あなたが食べます。
実はそのリンゴは、いわゆる辺境の地で獲られたものでした。
とても硬く、とてもすっぱいです。
「ジーザス!」
上記は私がシャワーと格闘しつつ、考えたものです。
私は(もしかしたら、すべての人は)毎日多くのことを考えています。
それは大発明であったり、くだらないことであったり、晩御飯のメニューであったり、
つまり、種々なものです。
しかしその思考は悉く死んでいきます。そりゃあもう片端から。
思考を記すこと。それにより思考死んだのちに「歴史」となります。
「歴史」ということはつまり、いつかそこにあって、手にとれたもの。になります。
ですので、文章というのは「思考の具現化」であるわけです。
本当にそうなのか?それはわかりません。
だって、「歴史」はあったことしか教えてくれないものですから。
「芸術」
いま、ジャズを聴きながらこれを書いています。
それはAll bluesであったり、Autume leavesであったりします。
これらは芸術です。
「なぜ?」
素晴らしい。と感じるもの。であり、文化的なもの。で、あるからです。
(もしかしたらある思考Aにそう思わさせられている。のかもしれませんが)
その点では文を書くことも同じです。
素晴らしい。と感じるもの。であり、文化的なもの。で、あります。
ただ、私がこれら定義より大切に考えるのは、
「パッとみて、いいな!」を重視するべき。ということです。
「おわりに」
30分経ちました。考えていたよりも、ひどく大変なものですね。これは。
でも、興味深いもの。で、あったことは確かです。
あ、校正や構成はほんとんど考えていないので、どうこうすることも、できません。
では。