日々の思想による疲れと、それについての一考
カフカ。
太宰。
夏目漱石。
マルクス。
ニーチェ。
挿入-
彼ら以外にも私が好きな本書きはごまんといるが、ごまんと挙げていたらキリがない。
許せ、フィリップ・K・ディックとかメルヴィルとか...ホントごめん
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彼らは思想する。もといしていた。
私は彼らの思想をのぞき、すくい、においを嗅ぎ、なめてみたり、叩いてみたりする。
それがたった一度、たったひとつの思想であるのなら、実に趣深く、いたく安易なものであるだろう。
だが、彼らは諸氏百家。尽きることのない思想の奔流で私を襲う。
私は万物を受け入れられる溶媒でもない。氷塊のうえに彼らは氷塊を落としてくる。
そして、あるときになると、私の意志とは関係なく、門はしまる。
それから悠久(誇張)の流れののち、氷塊は私となる。そして門がひらく。
思想とはとても重い!私にとってのカルボナーラだ。それも卵が乗っているもの。
しかし、彼らの甘い誘惑には逆らえない。抗えない。のっぴきならない。
そう、私は思食家であるのだ。マウスほどの胃をもった思食家。