”やさしさ”
やさしい人というものは、社会生活のうえでしか存在しない。
なぜなら、金がダイヤモンドに、現代がITに、利益が科学に価値をもたらすのと同じで、やさしさは社会が価値づけるものだ。
つまり、やさしい人というものは、社会生活のうえでしか存在しない。
ゆえに、社会が変わればやさしさも変わる。
ある島では、ひとを助けることがやさしさであり、ある森では、孤独を守ることがやさしさであり、ある大陸では、距離をおきつつも手を握ることがやさしさなのだ。
そして、やさしさの変化は社会のうえだけでなく、人、個人間でも大きな差が存在する。
ある人は話しかけてくる人がやさしい人であり、ある人は考える人がやさしい人であり、ある人はいたずらを仕掛けてくる人がやさしいの人なのだ。
ゆえに、やさしさとはとても不確定なものであり、とてもおおらかなものなのだ。
もちろん、私にとっては。