鯨と羊とおおいなる猫

草を食むように、文字をならべます

雨が降っている

雨が降っている。

雨ほど、静かなものはなかった。

太陽のロックを、夜のバラードを、人のソウルミュージックをつよいノイズでなかったことにした。

あつくなった今日には、いちばんの鎮静剤だった。

 

彼は目が悪かった。

遠くのものは光になってしまう。近いものも輪郭がとけている。

けれど、彼は満足していた。

あまりにも眩く、綺麗で、暖かい世界を見るより、黒いカップに沈むことが好きだった。

 

彼は人と距離をおいた。

人も彼と距離をおいた。

どちらにも都合が良かった。

人は苦悩を、人生を、恋愛を胸を張って歌ったが、彼はジャズをつぶやくのが得意だった。

ボードレールよりヴェルレーヌを、ナイアガラよりミシガン湖を好む男だった。

 

ときに、彼に近づく人もいたが、彼は深い遠慮をもって退いた。

人は踏み込むことを躊躇した。

とらばさみの鋭い歯を恐れ、枯れた木に不吉をさとり、冬の寒さに身もだえた。

それほど人というものは、想像力が豊かだった。

 

だから彼は本を手に取った。

未来は眼鏡をかけても見えなかったからだ。

過去はおおきく開かれていたから、深く沈んでいった。

どこまでも、どこまでも。